Apple Vision Proの750〜800gという重さ、そしてRay-Ban Metaがスマートフォンとのペアリングに依存する設計——現在のXRデバイスが抱える「重さ・厚み・電力」のジレンマに、スイス発のスタートアップが挑みます。半導体スタートアップMosaicが**380万ドル(約5億9千万円)**の資金調達に成功しました。同社が開発するのは、スマートグラスをはじめとするウェアラブル機器向けの「知覚チップ(perception chip)」。GPUや高性能アプリケーションプロセッサに頼らず、リアルタイムの空間認識を低消費電力で実現するという主張です。

「空間知能にGPUは要らない」——Mosaicの主張

Mosaicの共同創業者でCEOのAlfio Di Mauro氏は、「空間知能はアプリケーションクラスのプロセッサやGPUを必要とすべきではない」と主張しています。同社が開発するMosaic SoCは、消費電力を従来比で大幅に抑えながら、リアルタイムの知覚処理を提供することを目指します。

対応する機能は以下の通りです。

  • リアルタイムの環境認識
  • 物体認識(object recognition)
  • 位置追跡(positional tracking)
  • シーン理解(scene understanding)

これらをスマートフォンクラスの演算スタックが消費する電力のごく一部で処理できるとされ、ARグラスやヘッドセットに適した設計だと説明されています。

既存スマートグラスの「重さ・厚さ・熱」問題に挑む

現在のスマートグラスやXRデバイスは、ハードウェア制約に苦しんでいます。Ray-Ban MetaやOakley Metaのような初期世代のスマートグラスは、物理的なサイズ・重量制約のために必要なハードウェアを内蔵できず、スマートフォンとペアリングして機能を補完する設計に大きく依存している状況です。

一方、Apple Vision Proは750〜800gという重量から、長時間装着すると不快だという批判をしばしば受けています。

Mosaicは、こうしたバッテリーサイズ・発熱・デバイスの厚み・エンジニアリングの複雑さといった現在のウェアラブルメーカーが直面するボトルネックの解消を狙います。同社はプレスリリースで「Mosaic SoCチップは、スマートグラスを普通のメガネと見分けがつかないほど小型・高効率にしながら、完全な空間認識を提供できるよう設計されている」と述べています。

なぜ8コア以上の構成なのか——独自マルチコアの狙い

Mosaicの知覚チップが他社のソリューションと異なるのは、内部設計にあります。一般的な競合がシングルまたはデュアルコアのARMベース設計(ソース原文では「single- or dual-code ARM-based designs」と表記)に依存しているのに対し、Mosaicは独自設計で8コア以上のマルチコアアーキテクチャを採用しました。これによりワットあたり性能(performance per watt)を最大化し、同社が掲げる効率性の主張を裏付ける構造になっているといいます。

さらにMosaicは、ODM(相手先設計製造)の複雑さを取り除くため、自社で開発・保守するアプリケーション層付きでチップを出荷します。すでにODMパートナーとのNRE(一括開発契約)を通じて「意味のある売上(meaningful revenue)」を獲得していると同社は述べています。

将来的にはチップ供給にとどまらず、自社シリコン向けに専用アプリケーションが開発されるプラットフォームサプライヤーへと進化することを目指す方針です。

スマートグラス以外への応用可能性

用途はスマートグラスだけにとどまりません。スマートフォンに知覚チップを組み込めば、バッテリー消費を最小限に抑えながら「常時オンのトラッキングと分類(always-on tracking and classification)」を実現し、継続的な周囲認識を提供できる可能性があると説明されています。

スイスのプレシードファンドFounderfulの投資家Antonia Albert氏は、「次の10億台のスマートデバイスは、周囲の世界を見て理解することになる。Mosaic SoCの製品は、それを大規模に可能にするチップだ」とコメントしています。なお、今回の調達ラウンドのリード投資家が誰であったかは現時点で明らかにされていません。

実機への搭載や量産時期は現時点で明らかにされていません。「普通のメガネと見分けがつかないスマートグラス」が消費者の手に届くまでには、シリコンの量産化・対応デバイスの設計・ODMとの統合という複数の段階を経る必要があり、短期的な商品化を期待するよりも、中長期の技術トレンドとして注視していくのが現実的でしょう。

ETH Zurich発スピンアウト——創業者の背景とソフトウェア戦略

Mosaic SoCの技術的バックグラウンドを掘り下げると、同社のポジショニングがより明確になります。同社は2024年にMoritz SchererとAlfio Di Mauroによって設立され、両者ともETH Zurichの博士号取得者です。2人はシステムオンチップ・アーキテクチャに関する深い専門知識を持っています。今回のプレシードラウンドはFounderfulがリードし、Kick Foundationが参加しました。

注目すべきは、Mosaicがハードウェアの提供だけにとどまらない点です。

ソフトウェア基盤への拡張

同社はAIデプロイメント用ツールチェーンとコンパイラを開発しており、ファームウェア開発者がアーキテクチャを最大限活用できるよう支援する計画で、自社シリコンを中心にアプリケーションが開発・展開・最適化されるプラットフォームサプライヤーへと進化することを目指しています。対応ソフトウェアはSLAM、物体検出、ニューラル推論をサポートし、ターゲット市場はAR、VR、ロボティクス、自律システム、宇宙、ウェアラブル、モバイルデバイスに広がっています。スマートグラスはあくまで入口で、応用範囲は広範に設計されているのが特徴です。

競合動向——QualcommとAR/AIグラス市場の急拡大

Mosaicが挑む市場では、既存プレイヤーの動きも加速しています。QualcommのSnapdragon AR1+ Gen 1はAR1 Gen 1より28%小型化され、テンプル高を20%削減でき、コンピュータビジョンや音声ウェイク、Bluetooth再生、ビデオストリーミングといった主要用途で消費電力も低減されています。2026年4月にはQualcommがSnap傘下のSpecs Inc.とSnapdragon XR採用の複数年契約を発表し、Specsは年内の消費者向け発売を予定しています。

市場規模も急成長しています。

指標数値
2025年スマートグラス世界出荷約725万台
2026年上半期Metaシェア(Counterpoint)73%
2024→2026年同期の市場拡大2倍超

スマートグラスは2025年に725万台出荷され、XRハードウェア全体の約半数を占めました。Counterpointによれば、Qualcomm最大のAR1顧客であるMetaの世界シェアは2026年上半期に73%に達し、市場規模は2024年同期から倍以上に拡大しました。Mosaicの「知覚チップ」がこの拡大市場でどこまで食い込めるかが今後の焦点となります。

Q&A

Q. Mosaicの「知覚チップ」は何ができるのですか? リアルタイムの環境認識、物体認識、位置追跡、シーン理解を低消費電力で処理できるとされています。スマートフォンクラスのプロセッサとGPUを使う場合と比べて、ごく一部の電力で同等の処理を実現することを目指しています。

Q. なぜGPUを使わない設計が重要なのですか? スマートグラスやARデバイスでは、サイズ・重量・発熱・バッテリー容量がユーザー体験を左右します。GPUを含む高性能プロセッサは消費電力と発熱が大きく、薄型ウェアラブルには搭載しづらいのが現状です。Apple Vision Proの750〜800gという重量はその典型例で、Mosaicは「普通のメガネと見分けがつかない」レベルの薄型化を実現する手段としてGPU非依存設計を打ち出しています。

Q. 価格や登場時期、対応デバイスは? チップの価格・量産時期・搭載予定デバイスは現時点で明らかにされていません。同社はODMパートナーとのNRE契約を通じてすでに売上を獲得しており、将来的にはチップ供給にとどまらずプラットフォームサプライヤーへの進化を目指すとされています。商品化までの具体的なロードマップについては続報を待つ必要があります。

出典